
題の通り、「ロマンスがありあまる」とはいったいどういうことだったのかということについて話していこうと思います。最近ではCMでも流れることがあったりと度々耳にすることもありますね。以前ほどは流れていないもののその歌詞について考えることは面白いと思いまして、少し記事にします。
※全て主観です。これは「ロマンスがありあまる」という歌詞の意味などを一意に決定づけるものではないことをご了承ください。
まずロマンスって何だって話からです。
Googleで「ロマンス」と検索したときの検索結果から適当にまとめると、「ロマンス(romance)は、恋愛、情愛、または空想的で甘美な恋物語や情景を指す言葉」ということになります。つまりこの曲自体は恋愛についてのものだということですね。それを踏まえて考えます。まず冒頭、「
僕にはありあまる ロマンスがありあまる
少し贅沢をし過ぎたみたいだ
僕にはありあまる ロマンスがありあまる
少し贅沢をし過ぎたみたいだ
からこの曲は始まります。何ともキャッチーで聞き馴染みのある人も少なくないと思います。「ありあまる」という表現は何かをたくさん持っているということを示す言葉なので、硬い日本語にすれば、「私はロマンスをたくさん持っている」となります。ロマンスとは前述の通り恋愛に関する言葉でありますから、要は「私は恋をたくさんしている、してきた」ぐらいのニュアンスが感じ取れるのではないかなと思います。続いて2行目「少し贅沢をし過ぎたみたいだ」についてですが、こちらは現時点で確信に至るための情報が足りていないように感じてるので一旦パスです。
ここでドラムなどが一斉に入って来て曲の導入からサビまでの導入のパートに移行します。
空いたワインのボトルを見た荒み切った僕の心みたい
曖昧なフレーズが浮かんだから
ちょっと無理してお洒落に文字に起こす
ああ 背伸びし過ぎたかな
ああ また嫌われたかな
とか考えたりしながら星を仰ぐ
後半パートから見ていきますが、「ああ 背伸びし過ぎたかな ああ また嫌われたかな とか考えたりしながら星を仰ぐ」に関しては、嫌われたかもというフレーズからわかるように明らかに第二者を想定した文章です。冒頭に述べたようにこの歌は恋愛に関するものである可能性が高いですから、ここは異性と断定できそうです。「背伸びし過ぎた」というのは見栄を張るということと解釈し、そうであれば誰に対して見栄を張るか?という問題もありますが、これは「ああ」という文字で文章が並列して繋がれているのでこちらも相手は異性であるといえそうです。つまり、ここではおそらく、何らかの形で好きな異性と交流し、そのときを不安な気持ちに駆られながら振り返っている場面でしょう。
そして前半パートです。ここに関しては絵音ワールドが発動していると思いますが、N型の典型的な発想方法から考察すれば、おそらく1つめの段落が実世界で起こっていることで、2つ目の段落がそこから想起されたものであるのではないかというのが私の考えです。要は、空のボトルが置いてあるのは現実に起こっていたことで、そこからこの歌詞のフレーズを書き起こしている、ということをそのまま文字に起こしているのではないだろうかということです。想起直感型の彼の思考回路としては、そこまで不自然なものではないのだろうと思います。
次点でこれです。
僕にはありあまる ロマンスがありあまる
少し贅沢をし過ぎたみたいだ
僕にはありあまる ロマンスがありあまるけど
死に物狂いで生き急いでんだ
途中までは先と同じでいいとして、今注目すべきは「
ロマンスがありあまるけど
死に物狂いで生き急いでんだ
」の部分です。ここでは順接「ので」ではなく、逆説の意味での「けど」が使われているんですね。つまり、前半部分から想起される結論と後半部分に書かれたことは相反した意味合いを持つ文章でなければならないということです。この理論でいけば、「死に物狂いで生き急いでんだ」は「生き急いでいる」状態の意味合いととらえるとして、であればこれは「何にもかられずに生きている」状態の対義です。つまり、「ロマンスがありあまる」状態、つまり「恋愛が多い人生」と「何にもかられずに生きている」状態は同じとまず主張していることになります。これは真でしょうか?ここは個人の感性が介入する場面だと思うので無理な考察はしませんが、「恋が多い」とはすなわち愛情をはぐぐむための長い時間をかけるものであると考えているのであるとすれば、この題名の「ロマンスがありあまる」というものは自己に対するどうしようもない特性に対して述べていると考えることもできるかもしれません。
ここでちゃんまりのぴりょーんといった流れで時点につなぎます。
「何とかならないことなんて、何もないから」っていつか歌った
甲斐甲斐しく語りかけてくる声に涙流した人がいる
もういっそ枯れちまえばいい
そう思って叫んだ嘘も
あなたには届かないから美しいんだ
なんといっても後半パートでしょう。「もういっそ枯れちまえばいい そう思って叫んだ嘘も あなたには届かないから美しいんだ」この歌詞は「ロマンスがありあまる」の中で最も印象に残っている歌詞だと考えている人もいるでしょう。この部分は割と素直に受け取っても問題はなさそうです。本心の深いところでは思っていないことである、「もうどうにでもなってしまえ」という言葉を、「あなた」には絶対に聞かれることのない場所で声に出して叫ぶというそれ自体に芸術的な魅力を感じるということでしょう。ここは完全に感性の世界のような気がして考えを入れすぎるのは野暮かもしれません。
であれば前半部分ですね。まず、”「何とかならないことなんて、何もないから」っていつか歌った
”の部分についてですが、この部分は「もういっそ枯れちまえばいい」という部分に対して対比の関係を作り出していると思いますね。過去の自分は「すべての問題は解決できる」と考えている状態であるのに対して、現在の自分は「もうかれてしまえ」と自暴自棄のような状態になっているのですから。「甲斐甲斐しく語りかけてくる声に涙流した人がいる」この部分はよくわかりませんね。「涙流した人」が誰であるのかがよくわかりません。現在この歌の登場人物は「本人」と「その相手」という2人のみなので、これに限定すれば、このどちらかなのでしょうが、「本人」であれば前半部分で歌っているのに、という疑問が残ります。「相手」を想定すれば「甲斐甲斐しく語りかけてくる声」を発している人が誰であるのかという疑問が残ります。逆にこの二人以外の誰かと考えれば、この文章は「甲斐甲斐しく語りかけてくる声」が、誰かが涙を流すほどのものであったという解釈が出来ます。つまり、強調したいのは「甲斐甲斐しく語りかけてくる声」の方という解釈です。現時点では空想の域を出ません。
悲しくって泣けるなんてものより
棘を取った優しさなんてものより
ずっとずっと美しいんだ信じてくれよ
名前も知らぬ誰かが僕の音をさらった
時点、同様の歌詞を飛ばしまして、こちらです。
この辺もまた抽象度が高く解釈しづらくはあります。まず、二行にわたって続く「より」ですが、これは”than”の意味での「より」でしょう。「ずっとずっと」という強調表現がありますから、「ずっとずっと美しい」→「何より美しいの?」→「前2行よりも」といった感じでしょう。ここの理解を拒んでいるものの理由としては「主語」が欠落しているからでしょう。何かが「AやBよりもずっと美しい」という構図をとっているのですが、それが何かが今のところよくわかっていないといった感じです。「名前も知らぬ誰かが僕の音をさらった」についても突拍子がなく今のところ解釈不能です。(誰か解釈出来たらplease)
そしてラスト。
僕にはありあまる ロマンスがありあまる
少し贅沢をし過ぎたみたいだ
僕にはありあまる ロマンスがありあまるから
途方に暮れてんだ
前までと異なるのはまず、
ロマンスがありあまるから
途方に暮れてんだ
の部分でしょう。やはり先にも述べたように、この歌が「ロマンスがありあまる」というものは自己に対するどうしようもない特性について述べたものであるのだとすれば途方に暮れているというのは合点がいくでしょう。そして次に続きます。
僕にはありあまる ロマンスがありあまる
少し贅沢をし過ぎたみたいだ
僕にはありあまる ロマンスがありあまるけど
死に物狂いで生き急いでんだ
僕にはありあまる ロマンスがありあまるけど
いつも贅沢に怯えていたんだ
僕にはありあまる ロマンスがありあまるから
死に物狂いで生き急いでんだ
一つ目の段落の歌詞はこの歌の冒頭で展開されていたものです。これを見ればわかるように、順接、逆説の関係が反転しています。どういった意味かは計り知れますが、歌詞の中身で書いてある内容を考えていくにつれて、初めの考え方が変化したといったことを示しているのではないかと思います。

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